インターネットは今や生活に欠かせないインフラ。
その黎明期、日本でパソコン通信が主流だった時代に、いち早くインターネット接続サービスを提供したのがニフティでした。
今回は、ニフティのサービスが始まってから30年もの間利用し続けているニッポン放送アナウンサーの吉田尚記さんと、黎明期の情熱を知るニフティ株式会社代表取締役社長、前島一就が対談し、インターネットが世に出始めた当時のエピソード、インターネットの先駆者であり続けるニフティの企業風土について語りました。
「IT企業」という言葉がない時代からのサービス開始
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吉田アナ
30年間、毎日使っているサービスを運営する会社のロゴがここにあることがすごいなと思うのですが、今日はニフティ株式会社さんにお邪魔してお話を聞かせていただきます。
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前島
よろしくお願いいたします。
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吉田アナ
本当に「NIFTY-Serve」(以下、ニフティサーブ)※1を使っていた頃から、信頼性というか「繋がらないことがないよね」という会社なので、社長はその大将という感じがすごく出ています。
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※1:「NIFTY-Serve」:ニフティが1987年から2006年まで提供していた会員制のワープロ、パソコン通信サービス。 会員同士でやり取りできる電子メールやチャット、フォーラムと呼ばれるコミュニティなどを提供し、1995年4月には会員数100万人を突破した。
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吉田アナ
ニフティさんの創業はいつですか?
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前島
1986年に会社を設立し、1987年にサービスを開始しました。
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吉田アナ
おそらく、その頃は日本にIT企業というものがほぼないですよね。また、ニフティサーブの場合は一般向けにサービスを提供していて、BtoCの会社でのインターネットサービスは日本初に近いですよね。
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前島
はい。そのため、取引先に我々がどういった会社なのかということを説明することが難しかったです。
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吉田アナ
一番初めはそうですよね。
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吉田アナ
僕はまだインターネットというものがこの世にない時代から、秋葉原に通う少年でした。秋葉原のラオックスのザ・コンピュータ館、通称「ザコン館」と呼ばれている建物があったのですが、パソコン雑誌のコーナーでニフティサーブの赤い背表紙の入会キットがあったことを覚えています。
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前島
あの厚紙の固い入会キットですね。
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吉田アナ
そうです。入会キットを買って入会したのがおそらく30年ほど前です。その時にオムロンの14,400BPSの「音声モデム」を買って入会しました。
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前島
ありがとうございます。「ピー、ガー」という音がしますよね。
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吉田アナ
そうです!本当に体験している人と後から聞いた人と違うと思いますが、「ピーーー、ガーーー、ツーーー、コーーーーーー」という音が鳴り、繋がります。
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前島
あの音を聞くと、今何の処理をしているのか私達は分かりました。音で回線の品質がチェックでき、ログインも分かります。
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吉田アナ
そこまでわかるのですね。
あの音は、コンビニに入って自動ドアの音がするときと同じように、「今ネットに対しての扉が開かれた!」のような気持ちになります。
僕は大学に入学してすぐくらいの10代の時に初めてニフティサーブに入会しました。そこからずっと契約していて、一度も解約してないです。 -
前島
ありがとうございます。
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吉田アナ
ID言う必要ないですが、僕、〇〇〇〇〇〇です。
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前島
素晴らしいです。本当に初期の頃です。
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吉田アナ
IDの並びだけで社長はおわかりになるのですか?
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前島
わかります。先頭の文字列や数字で入会時期がわかります。また実は、入会経路も番号でわかるようになっています。
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吉田アナ
では、僕があのラオックスのザコン館で買ったキットで入会したことは、もうIDから恐らくわかるのでしょうか。
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前島
はい。量販店さんの入会用のコードだと分かります。
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吉田アナ
すごいですね。これがこの頃のITの職人芸ですよね。
高校生でプログラミングのアルバイト経験、その後富士通に入社した前島社長
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吉田アナ
この頃(インターネット黎明期)の方って、本当に他の人が聞いたら分からないような文字の羅列で様々な情報を引き出していましたが、社長はまさにその頃からずっとニフティ一筋でいらっしゃるわけですよね?
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前島
最初は(当時)親会社の富士通に入社しまして、「日本で最初に通信のサービスを提供する」というプロジェクトに入りました。富士通の社員としてニフティのサービスを立ち上げた後、出向転籍となってニフティに移りました。
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吉田アナ
当時、まだインターネットというものがない頃にパソコン通信というものがアメリカにはあるらしいという情報がパソコン雑誌に掲載されていました。そのパソコン通信で繋いでみんなで会話していて、面白そうだと思いましたが、英語しか使えず、当時は国際電話をかけて繋ぐしかないという状態だったので、さすがに高校生で利用することは難しいと思っていました。
でもある時、パソコン雑誌を読んでいると、日本でもサービスが始まるらしいという情報を知って、面白そうだと感じました。僕にとってニフティは憧れのブランドでした。
この時、社長はおいくつぐらいでしたか? -
前島
19、20歳ぐらいです。もう富士通に入社していました。学生の時にプログラムを書くアルバイトをしていました。
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吉田アナ
いますよね。その当時の天才少年たち!
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前島
アルバイトをしているときからずっとプログラムを書いているので、インターネットの話が出た時に「いっちょやったるか」という気持ちでした。
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吉田アナ
じゃあ一人のパソコン少年として勤務していたのですね。
その頃は富士通さんも通信事業を始めるくらいでしょうか。 -
前島
ちょうどパソコンを発売するくらいですかね。
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吉田アナ
FM TOWNS(富士通が開発したパソコン、以下TOWNS)より前ですか。
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前島
FM-8かな。
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吉田アナ
FM-8!ありましたね。FM-7もありましたよね。FM-7、FM-77、FM-8とありました。
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前島
FM77-AVもありました。こんな話ばかりでいいのでしょうか。
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吉田アナ
楽しいです。
その中にデジタルで初めて音楽のデータを扱える規格があって、そのデータを「ish(イシュ)」などでやりとりする頃ですね。
今でしたら、みなさんZIPファイルでファイルを圧縮して送ると思うのですが、その頃はフォーラムにテキストデータに変換してそのまま張り付けます。それをコピペして、自分の手元でファイルに復元するというサービスがあったのです。
その時にFMIDI(MIDIフォーラム)からそのデータを持ってきて、まさにTOWNSで鳴らすという…。 -
前島
そうですね。MSX(パソコンの共通規格)なども出てきて、YAMAHAさんなどもですね。
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吉田アナ
僕は子どもの頃、MSXを使用していました。父が「Microsoft Windows 98(以下、98)」を使用するようになって、ニフティサーブは98で始めました。あの頃はニフティサーブを超未来的なサービスだと感じていました。
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前島
業界初なことをもうことごとくやっていました。
ユーザーの声を直接聞いてサービスを磨く
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吉田アナ
今日一番お伝えしたかったことがあって、最近IT評論家の尾原和啓さんとお話をよくさせていただいているのですが、バルーン理論というのがあると。
バルーンというと風船ですよね、
今のインターネットは、ものすごく巨大な風船ですが、元々は小さかった。
この小さいものがどんどん今世界中に向かって広がっていっていると。
今、インターネットではSNS上の炎上や、通販で購入した物が届かないなど、さまざまなトラブルがあります。今では、大きな規模になっているけれど、そもそも最初にニフティのフォーラムで全員一度経験していると言われました。
本当にインターネットの根本は何も変わらないですよね。 -
前島
変わらないですね。
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吉田アナ
冒頭でもおっしゃっていたユーザーの方の声を聞いて、サービスそのものをもう一回構築し直すことは、今はもう最先端という感じがしますが、ニフティさんが既にやっていらっしゃったわけです。
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前島
やっていましたね。
ですから、今さまざまな問題がありますけど、我々、そういったことは一回通っていますね。 -
吉田アナ
あの時代に今に繋がる経験を全部一回させてもらっているのですね。
そうすると、やっぱり最近のITニュースとかでは驚かないというのも変ですが、「ああなるほどこういうことか」という理解が誰よりも早いのではありませんか? -
前島
それもありますし、やはり私たちも何十年とサービスを提供してきましたが、ネットワーク社会が安全な社会ではないという状況を変えられなかったという反省もあります。
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吉田アナ
でも人間の本性じゃないですかね。
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前島
社会の縮図といったらおかしいかもしれませんが、インターネットの一部は特別な場所ではなくなっているということなのかなとも思います。
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吉田アナ
人が集まれば、良いことも悪いことも起きますし、IT系の仕事ですと人間味がないと思ってらっしゃる方がいるかもしれませんけど、むしろ逆ですよね。
泥臭いと言っていいかわからないのですが、人と人がやり取りしている最前線にいるということです。 -
前島
私たち、実はコールセンターは自分たちで運用しているのですが、
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吉田アナ
え?今もですか?
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前島
はい、運用しています。その理由としては、やはりお客様と近しい状況、直接お話を伺うことを大事にしているからです。
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吉田アナ
正直、プロバイダーサービスというビジネスとして考えると、全てをモジュール化して効率化していそうですね。組み合わせることによって、最大の収益を上げるという方法もありますよね。
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前島
他社さんもそうされているはずです。
一番コストがかかるし、合理化するポイントだと思うのですが、我々は自分たちで運用し、それよりも他のところでお客様のためにサービスを磨いていくことを会社として取り組んでいます。 -
吉田アナ
確かにこんなにサポートが開かれている会社ってなかなかないですし、だからこそユーザーの声を無視しない、できない体質なのですよね。
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前島
ですから、30年間利用し続けていただいている吉田さんとこのようにお話できていることが、我々としてはすごく貴重です。
お客様と直接お話をする機会はなかなかないので、本当に勉強になります。 -
吉田アナ
本当に、30年ずっと使っています!
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前島
ありがとうございます。今まで利用されてきてどうですか?問題なく快適に使われていましたか?
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吉田アナ
プロバイダーサービスに求めるのは、やっぱり安定性ですよね。30年間で繋がらなくて困ったっていうことはほぼ記憶にないですね。
リスクよりも大切な“挑戦する”という姿勢
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吉田アナ
30年以上のご経験の中でニフティさんは色々なサービスを開発していますよね。
基本的には接続サービスの提供かと思いますが、なにか思い出深いサービスはありますか? -
前島
2003年にブログサービスを…
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吉田アナ
ココログ!ISPで初めて国内のブログサービスを運営したのはニフティですよね。
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前島
商用サービスとして私どもが最初だと思います。
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吉田アナ
そうですよね。その時代は眞鍋かをりさんがブログの女王とか呼ばれていて。
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前島
はい。真鍋さんには直接お会いして、執筆いただけるようにお話をしました。
前向きなお返事をいただけて、開始したらすぐにブログの女王になりました。やはり文章が上手かったです。
ココログは、開始してすぐにシステムトラブルが起きまして。新しいことを始めると、いろいろとリスク高いということはわかっていましたが、最初はトラブル続きでした。そういうこともあって特に思い出深いです。 -
吉田アナ
そう考えると、新しいサービスを立ち上げることは、リスクが高いこともお分かりの上で、ニフティさんはどこの企業よりも早くサービスを開始しますよね。
これはリスクよりも大切なことがあるのでしょうか? -
前島
お客様に私どもを選んでいただくためには差別化することが重要だと思っています。
ネットワークが速いのは当然ですが、その先に何が必要かと考えた時に、社内でさまざまなアイデアを出すのですが、これ面白いのでは?ということをやってしまう癖があるかもしれません。 -
吉田アナ
無意識的にその姿勢は僕らに伝わっているような気がします。
30年間、基本信頼を裏切らないけど、意外に変わったことも少しずつ挟んでくるなど、やはり少し人の匂いがする気がします。 -
前島
ありがとうございます。
ANIMAX MUSIXに出展してアニメ界を盛り上げたい
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吉田アナ
毎日お世話になっているけれど、イベント的なところでもニフティさんにはお世話になっていて、2024年11月23日(土・祝)に開催される「ANIMAX MUSIX 2024」にニフティさんのブースが出展するとお伺いしました。私もMCを務めています。
正直な感想を言いますと、「なんで!?」と思いました。
どうして出展しようと思われたのですか? -
前島
昔、ニフティでは、パソコン通信サービスの中でフォーラムを提供していて、その時にアニメのフォーラムが実は20個くらいありました。
パソコン通信のコミュニティで一番活発だったのは、実はアニメのファンの方々だったと思います。 -
吉田アナ
はい、僕もその一人ですけれども。
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前島
それがいまだに続いていて、アニメは日本の巨大な産業として、インターネットで必ず話題になる内容です。海外でもそうですが、インターネットの事業をやっている中で、アニメ産業の皆様方に何かしらの協力、ファンの方々の支援をしたいという思いがずっとありました。
そのため、今回協賛のお話をいただいたときに、「是非ともお願いします」とお返事しました。
我々インターネット事業者は、そのお客様と直接触れ合う場はなかなかなく、アニメを見る方もインターネットを通してサブスクのサイトで見る方も多いと思うので、こういった場で直接お客様とお会いできる機会をいただいて非常に嬉しく思っています。
見どころ満載のニフティブース企画にはあの人が登場!
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吉田アナ
ブース出展は重要な役割を担っていたのですね。
そして今回は、ニフティブースでの大抽選会で「@nifty賞」に当選した方が参加できるアフタートーク会には中川翔子さんがご登場します! -
前島
驚きです。
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吉田アナ
僕は、中川翔子さんが一番初めに、ヤプログを利用していた頃にまだSF雑誌等の小さなコラムにしか連載していない“変わった女子”がいるということで、「中川翔子で番組を作ろう」という企画書を会社に出して、意味がわからないと却下されたことがありました。
懐かしいです。
ニフティが支援する推し活
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吉田アナ
ありがたいことに、僕は来年2025年4月から東京大学の大学院に行くことになっていて、研究テーマが「オタクと推しの研究」です。
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前島
拝見しました。
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吉田アナ
もう今差別化がさまざまなビジネスでもテーマになっています。
特に、プロバイダーサービスは、自分が何を利用しているのか分かっていない方がかなりのパーセンテージ… -
前島
いらっしゃると思います。
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吉田アナ
やはりそうですよね。僕はそういうのに解像度が高いというか、好きな人間ですが、ニフティさんを選び続けているのは”推し”だからだと思います。
特に、アイドルや声優を推している方は多くいると思うのですが、あまり詳しくない方から見たら何でこの人を推すのかという理由は合理的な説明が難しいと思います。
自分はこうだからこれを使うとか、この人たちを推しているという話になると思うのですが、僕は30年間お世話になっているという意識でニフティさんを使わせていただいている感じがします。 -
前島
インターネットサービスもお客様の推し活を支援する一つのツールだと感じています。
推し活に対しても今回の「ANIMAX MUSIX 2024」に参加させていただくのもそうなのですが、お客様を後押しするという形で、ご協力できればと考えています。 -
吉田アナ
「推し」という言葉は30年前には存在しておらず、20年くらいの歴史となりますが、これはほとんどインターネット一般化の歴史と軌を一にしていると感じます。
推し活が普通のファンと何が違うかというと、活動が伴わなくてはいけないことです。
能動的な活動が伴っていなければいけなくて、ライブに行ったりグッズを買ったりすることもありますが、インターネットで何か自分の考えをまとめて発表することも立派な推し活の一つだと考えます。これはインターネットが世に出る前は同人誌を制作するしかなかったのですよね。
そういうことが一般的にやりやすくなり大きく広がったのが、まさにニフティが切り開いてきた日本のインターネット空間あってこそだと思います。 -
前島
今ニフティでは、「OSP」(=「推し活サービスプロバイダー」)を目指しています。
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吉田アナ
ほーー!
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前島
実は、社内で「NIFTY-Serve復活プロジェクト」を開始していて、パソコン通信をまた提供しようということではなく、またインターネットでお客様が「これはすごい!」という驚きのあるサービスを提供したいという思いで、準備を進めています。
まだ発表はできないのですが、今後面白いものがいくつか出ると思いますので、楽しみにしていただければと思います。 -
吉田アナ
「NIFTY-Serve復活プロジェクト」は絶対無視できないです! これは気持ちが沸き立ちます。あえてモデムでつなぎたいです。
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前島
今でしたらトップページを開くのに40分以上はかかると思います。
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吉田アナ
データ量からすると、そうですよね。
今日は本当に面白かったです。企業案件でこんな面白いことはないです。 -
吉田アナ・前島
ありがとうございました!
- 吉田 尚記(よしだ ひさのり)
- 1975年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、1999年ニッポン放送入社。2012年に「第49回ギャラクシー賞」で「DJパーソナリティ賞」を受賞。マンガ、アニメ、アイドル、デジタル関係に精通し、年間100本以上のイベント司会や、2008年から始まった「マンガ大賞」の発起人・実行委員を務めるなど、ラジオやアナウンサーの枠にとどまらない活動を行っている。
- 前島 一就(まえじま かずなり)
- 1967年北海道生まれ。1986年富士通株式会社に入社。1990年ニフティ株式会社に移り、システム開発部門に配属され、システム開発・運用に従事。取締役専務執行役員を経て、2023年に代表取締役社長に就任。現在、株式会社JPIX取締役としても従事。